初心の時

昭和44年3月16日入門。

入門1日目、基本稽古を皆と一緒に2階の道場で行う。初心者たちはその後、1階の道場で茶帯あるいは緑帯の先輩から基本の復習と移動稽古の指導を受ける。初心者たちといっても、その時初心者は私一人きりだったが、約1時間半、実にやさしくわかり易い指導を受けた。

指導を受けたのは山口先輩という茶帯の先輩だったが、その先輩の突き、蹴りを見ているだけでも大変勉強になった。おかげで移動稽古は自分が驚くほど早く呑み込むことができた。

 

「足が出てから手を出す。回るときは後足で回る。回りきってから下段払い。もう一度、足が先に出て、足が床についてから手を出す。あわててはいけない、ゆっくりと。ゆっくりやった方が覚えも早いし、しっかりと身につくものです」

 

ただこれだけのことなのだが、これで充分に理解することができた。当時、極真の茶帯といえば他流派の二段に匹敵するといわれていた意味がわかるような気がした。そして、本当に強いから優しいんだ、と。

おかげで入門3日目には、2階で他の先輩たちと一緒の合同稽古にも何とか迷惑をかけずに参加することができた。

 

そしてその日は、私にとって生涯忘れることのできない1日となった。かつ、この日が私の極真空手修行の原点となったのである。そう、大山倍達総裁との出会いである。

山のように大きく、太陽のように眩しかった。18歳の白帯の少年である私が大山総裁から瞬間に受けた第一印象であった。恐る恐る総裁を見ると、やはり大きい。総裁は稽古着姿だったから、なおさらその存在感だけで圧倒されてしまった。「すごいなぁ」と思っていると、総裁が私のほうを見たような気がしたので思わずどきっとした。

 

「押忍、私が大山です。今日は皆さんと一緒に稽古しましょう」

 

皆さん、といっても当時はいつも10名前後で稽古していたから、総裁は私の目の前にいるに等しかった。総裁が私のほうに顔を向けるだけでどきどきして、そのくせ総裁が顔の向きを変える度に総裁を徹底的に観察しようと思った。

すごいなぁ、としか思えない。何が一体すごいのか。表現の仕様がないのだ。準備運動ですら迫力に圧倒される。総裁の大きい躰、そしてわかり易い説明。私の心に総裁の言葉一つ一つが響きわたる。

 

こんな声は今までに聞いたことがなかった。大きいけれど優しい声だ、強いけれど優しい声だ。日に焼けた総裁はまるで仁王様のようにも見えるし、でもよく見るとすごく二枚目である。またこっちを見られるような気がしたので夢中で体を動かす。

大山総裁の眼、人間の眼はあんな風になるのかと思う、すごい眼力である。刀のようで、とても人間の眼とは思えないくらいだ。恐いのを忘れ、その眼をじっと見ていたら目線が合ってしまった。眼をそらそうとしたがもう遅い。総裁の眼に引きずり込まれそうな気がした。すごいけど優しい目だ、少なくとも私には優しい目だ。こんな眼は生まれて初めて見た。

 

総裁のかけ声と共に基本稽古が始まった。その時私は生まれて初めて必死になった。全力を出そうとした。上手、下手ではなく、総裁の前で全力を出そうとしたのだ。総裁に、全力を出している自分を見てほしかったのかもしれない。誰よりも大きく気合を出したつもりだ。誰よりも誰よりも全力を出したつもりだ。

そして、基本稽古の途中で総裁が言われた一言、この一言が、空手の技を追求する面において常に私を支えてくれたのだ。

 

「一つの技を身につけるためには十万回やりなさい。百万回やったら間違いない」

 

百万回は無理でも十万回なら自分でもやれそうだ、いや、やるんだ。白帯の胸に誓った。「極真会」の三文字に誓った。そしてもう一言、

 

「自分が苦しい時は相手も苦しい。相手は神様ではない。人間は苦しい時に強くなるんだよ」

 

この一言が私の心の支えになっている。

私の目の前に大山総裁がいる。夢にまで見た大山倍達がいる。

私はこの日の事を生涯忘れることはない。本当に入門して良かったと思った。