基本稽古は平時の武道

以前雑誌のインタビューで「基本と競技ルールが噛み合わない極真空手の体系に、大山総裁が託した意味とは何であったのか?」という質問に大石師範が次のように答えています。

 

確かに多くの基本技は顔面や急所を狙っているため、試合で使用することはできません。しかし、これには大山総裁の深い空手への思想が込められているのです。総裁が残した遺産である極真空手は、2つの柱から成り立っています。

一つは試合において素手による直接打撃によって勝敗を決するための国際空手道連盟ルール、もう一つが今回疑問を持たれた基本技になります。総裁は大会ルールを「競技の武道」、基本稽古で身につける技術を「平時の武道」として位置付けていました。

 

競技においては、直接打撃という世界の中で公正かつ安全に試合を行うために調整した結果、現在の形に至りました。一方、平時における戦いとは護身であり、負けてしまってはならないのです。そのために、基本技には“イザッ”という事態に極めて速効性が高い、顔面や急所への攻撃が集中する形となっています。

つまり、直接に打ち合って強さを養う競技の部分、危機に対して身を守る為の基本部分、この二つが両輪となって極真空手となるのです。

 

また「平時の武道」という言葉には別の意味もあります。普段我々が生活し、生きていること自体が戦いであり、その中で様々な困難にぶち当たります。その困難に打ち勝つ精神の強さ、克己心を求めて道場に人は集まるのです。

ただ楽しく物を蹴ったり打ち合ったりするだけでは、精神の強さを養うことはできません。基本一つ一つに魂を込めてコツコツと修行を続け、その中で共に競技ルールに従った打ち合う強さを養うことによって初めて心身共に強くなれる空手であるといえます。